筒井康隆、自作を語る/筒井康隆 日下三蔵・編

日下三蔵さんをインタビューアーに迎えてSF作家の御大、筒井康隆が自作について語る本。 

筒井康隆、自作を語る (ハヤカワ文庫JA)

筒井康隆、自作を語る (ハヤカワ文庫JA)

 

 

筒井康隆コレクション>というシリーズの刊行を記念してトークショーがあり、その内容を書籍化した内容になっている。話し言葉なのですらすらと読んでしまう。

筒井康隆の作品は、初期のものは中学生の頃によく読んでいた。SFが好きだったのと、はちゃめちゃで不道徳な感じが面白かったので。
筒井作品からいつ頃離れてしまったのかと本書を読みながら考えていたら恐らく『虚人たち』のあたりで、それ以降の作品はあまり読んだ記憶がない。それ以前のものも内容は殆ど覚えていないけれど。
読んでいると『虚人たち』以後は文学誌での発表が増えている。SF小説、中間小説というものから文学へ筒井作品がシフトしていった頃で、その頃の自分にはそういうものが理解出来なかった、読みたいと思わなかったということだろう。『虚人たち』は確かに中学生の自分には理解できなかった。何だか異様な雰囲気だけが記憶に残っている。

小説以外にも戯曲を書いたり童話を書いたり、俳優として映画にも出演しているし、テレビのバラエティにも出ている。一時の断筆宣言なども御本人は、何れ出版社が放っておかないから執筆依頼が来る、と面白がっていたようだ。
まったくもってエネルギッシュで精力的な人で、そういう人でなければ作家なんて職業は通用しないのだと思わせるし、そういう人だったから今も現役で活躍している人なのだろうと思う。

読んでない筒井作品が多数あり、読んでみたいという本も多数ある。『虚人たち』を今読んでどう思うのかも確認してみたい。

 

ミックス

2017年、日本、石川淳一監督

幼い頃から母親にスパルタで卓球をしこまれてきた女は、母親が亡くなってから卓球と遠ざかっていて、実家が経営する卓球クラブも傾いていた
社内の実業団チームに入団した卓球選手と恋に落ちるが、彼の浮気で恋は破局し会社も退職してしまう。
仕方なく実家に戻り卓球教室のコーチを始めるが、そこに通うのはワケありの人ばかりだった。
やがて彼女とクラブの面々は日本選手権を目指すことになる。

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ミックスというのは卓球の男女ダブルスのこと。主人公の新垣結衣とダブルスを組むのは瑛太。他にも広末涼子がクラブのメンバーを演じているし、彼等が行きつけの中華屋の店員を蒼井優が演じていてたり、端役に真木よう子とか生瀬勝久とか出演陣が豪華。

でもこの映画は主役を演じる新垣結衣を愛でる映画だと思う。彼女が躍動しているだけでいいから。

瀬戸康史が実業団のスター選手を演じているが、新垣結衣という恋人がいるのに浮気してしまうという有り得ない、全く考えられない、腑に落ちない、共感出来ない、共鳴できない、想像不可能で、とんでもない、リアリティに背を向けた展開がある。
瀬戸康史はバカでアホでおっちょこちょいでとんまで間抜けで人間として何かを忘れてきた人でなしなのだと思う。彼が出演している映画は一生観ないことにする。

解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の偶発的出会い/NURSE WITH WOUND

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ノイズ・ミュージックのクラシックは幾つもあるだろうが、NURSE WITH WOUND(NWW)による1979年リリースの本作もその中の一枚。怒涛のハーシュ・ノイズというような代物ではない。まだ時代はそこまで到達していない。

ノイズ成分よりもサウンド・コラージュのような面が目を引く。音のコラージュ作品自体は、それ以前からあるが、その出自と不穏な雰囲気を醸し出す作品世界がノイズの始祖のひとつだという事に異論はないと思う。

名盤とされるような昔のアルバムを聴いてピンとこないことはある。一方、随分昔の盤なのに今聴いても面白いと思うものもある。前者はその時代に聴いていれば先進性が感じられたのだろうけれど、時間が経ってからでは、新しさは古さに反転してしまっているので、歴史的意義を意識しながら聴くことになる。でもこのNWWのアルバムは後者。今聴いても時代性抜きにして面白い。

音のコラージュ作品でも当然、面白いものとそうでないものがある。自分で色んな音源を重ねたり切ったり貼ったりしてみると分かるが、編集の妙によって格好良い音になっているところと、ただ単に編集された痕跡だとしか思えない場所がある。その違いは何なのかは良く分からないけれど本作は確実に前者が詰まっている。

なぜそういうコラージュのようなものが好きなのかよく自分でも分からない。子供の頃にカセットテープでそういうことをして遊んでいたからだろうか。その頃にやっていたのは、好きな歌謡曲の一番聴きたいサビだけが続くテープを作ったりしていたが、編集することによって元の音楽の良さとは違う、なんだかよく分からない格好良さが生まれる瞬間があって、そういうのが楽しくてずっとそんなことをして遊んでいた。そういう経験があるからだろうか。
しかし、写真のコラージュもなんだか好きでいて、昔観たキムラカメラの写真集などは未だに記憶に残っている。なんだか歪な感じがするからだろうか。よく分からない。

1980年前後というのは、75年にThrobbing Gristleが生まれ、77年には彼等の1stアルバムがリリースされている。そして、80年にはWHITEHOUSEの『birthdeath experience』がリリースされる。日本では79年にはメルツバウが生まれ、非常階段が結成されている時代であり、ノイズやインダストリアルといったジャンルの音楽には重要な時代だと言わざるを得ない。

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皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

2016年、イタリア、ガブリエーレ・マイネッティ監督作

警官に追われる男は、川に飛び込み難を逃れるが川底に沈んだドラム缶からおかしな液体に触れてしまう。
男は盗品の腕時計を知り合いに換金して貰うと、彼に麻薬の取引現場へ誘われる。取引は失敗し、男は工事現場の9階から墜落するものの生きているどころか怪我もない。男は不思議な力を得たことを知る。
死んだ知り合いの男の娘は鋼鉄ジーグのファンで、父親が帰って来ないことを男に尋ねるが彼は本当の事が言えず彼女の面倒をみるはめになる。
彼と彼女は、取引が失敗したことによって窮地に立たされたゴロツキ達に追われることになる。

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ヒーロー物の主人公は清く正しい人物であって欲しいと思う。大抵は超人的な力や武器を持っていて、間違った考え方を持っている人間にそんな力を行使して欲しくはないから。
しかし、そういう定型に対してダークヒーローという、正しくない人間が超人的な力を持つというパターンもあって、既にそれも定型化していると言えなくもない。『ヴェノム』なんかはそういうお話だったと思う。

この映画の主人公は、端的に言えばチンピラ。犯罪で生活している。力を持ったことを知ると彼が先ずやるのはATMの強奪で、碌なものではない。
知人の娘は日本製アニメ『鋼鉄ジーグ』の世界にとりつかれており、精神を病んでいるように見えるが、彼女が様々な暴力にさらされて生きてきたことが所々で明かされ、それが原因でないかと思わせられる。彼女によって、自分の欲望のために力を行使するよりジーグのように人の為、世界の為に行動するよう男は仕向けられる。

日本製アニメが海外で以外と人気があることは薄らと知っている。ヨーロッパで『アルプスの少女ハイジ』が広く知られていたり、アラブで永井豪の『グレンダイザー』が人気だったり、フランスでは『シティ・ハンター』が実写映画化されたりと枚挙に暇がない。『鋼鉄ジーグ』もそんな風にイタリアでは人気があったのだろう。

ヒーロー・アニメの登場人物は一切出てこないのに、犯罪映画+ヒーロー・アニメになっているという不思議な出来栄えの映画でした。

南瓜とマヨネーズ

2017年、日本、冨永昌敬

売れないミュージシャンの男と同棲している女は、男を支える為にキャバクラでアルバイトを始める。そこで客の中年男に愛人契約を持ちかけられ、金の為に渋々承知して関係を続けるが、同棲中の彼に気付かれてしまう。以来、二人の関係は微妙なものになる。

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恋愛映画。南瓜もマヨネーズも出てこない。感想もない。

恋愛映画を観ても、それぞれ好きにしはったら、くらいのことしか思えない人でなしなので、そういう映画を観る能力が欠如しているのだと思う。

主人公たちは誰も彼も自由で何も束縛されていない。自分のやりたいことをやれる環境にいてそう振る舞っている。
外的要因で恋愛が阻害されてそれを克服するというお話ならば、それは個人と外との闘いだけれど、この映画の中で恋愛がうまくいかなくなるのは全部自分達の行いのせいで、そんなの見せられても、好きにしはったら、以外の感想はない。
自由でいて、自分としてはこうありたいと思っているけれど、流されて自分の思うようにいかない、理想と離れて行ってしまう、そういう弱さを愛でるべきかもしれないが、そんな気にもなれない。

特別な事件が起こらなくても映画の中に詩情みたいなものが漂っていれば映画としては観られるので、なんとか最後まで観ることができたのだから2mmくらいは詩情があったのだろうと思います。知らんけど。

売れないミュージシャンの男を演じているのは太賀という俳優さん。この方はヤクザ映画、Vシネマなどによく出てくる中野英雄の息子さんらしい。独特の存在感があった。お父さんのようにヤクザと付き合ったりしないで欲しいです。