嘘八百

2018年、日本、武正晴監督

京都の蔵のある屋敷で価値のある茶碗を見つけた古物商の男は、嘘をついて安値でそれを買い取るが、よく見ると贋作だった。その偽物を作ったうだつの上がらない陶芸家の男を捕まえると、もっと凄い贋作を作らせて、かつて騙された因縁のある大物鑑定士を逆に騙そうと画策する。

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古物商の男を中井貴一、陶芸家の男を佐々木蔵之介が演じる喜劇映画。京都、大阪を舞台にしたお話なので関西出身の佐々木蔵之介の関西弁が小気味良い。
二人の大物俳優を起用して、その二人が右往左往するだけでずっと観てられる。炬燵で鍋を囲んでああだこうだ言ってるだけの場面でも絵になる。それにしても中井貴一という俳優さんは大物らしくない軽みのある良い俳優だなと思う。
随所に、ちょっとその展開はどうなん?と思うところもないではないけれど細かいことは言いいっこなし、と思える軽妙さがある。

YouTube小林克也山下達郎が対談しているラジオ番組を聴くと、山下達郎が昔の話を披露していた。
1979年に、まだ地方ツアーもしたことのない歌手だった彼が、大阪のディスコで彼の曲『ボンバー』が流行っているらしいと大阪でコンサートを開くと、東京での演奏を観に来ていた小難しい客と違って音楽を楽しみに来ている客が集まっていて驚いた、と語っていた。
東京では誰もが評論家のようになっていたのに、快楽として音楽を楽しむ客がいることに救われた、ということらしい。

映画も難しい解釈が必要な作品もあるけれど、それはそれとして、ただ単純に楽しいというだけでも良いのだと思う。映画を色々観ていると、いつも大傑作に巡り合うわけもなく、軽い、そこそこ楽しいという映画もあるし、それを「ちょっと面白かった」くらいの感想で終わって消費してもそれはそれで良いのだと思う。どの作品にも重いテーマがあるわけでもないのだし。本作も軽い喜劇としてちょっと面白かった。

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カリスマ

1999年、日本、黒沢清監督作

二人の人間を死なせてしまった刑事の男は、休暇を申し渡され、森に迷い込む。その森では一本の木を守る人物とその木を奪おうとする人達、そして植物学者の女がいた。木を巡る彼等の駆け引きが行われる。

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黒沢清監督というのはシネフィルの間では評判が高いみたいだけれど、自分にはその魅力がいまひとつ分からないでいる。何作かのホラー映画はとても怖くて、不穏な雰囲気が充満していたのが印象深かったけれど『散歩する侵略者』なんてどう捉えれば良いのか困ってしまった。

本作もよく分からない。
仕事に疲れた男が森に逃避する。そこではカリスマと呼ばれる木があり、その木は根から毒素を分泌して周りの森を涸らしてしまう。その木を奪おうとする人たちと守る人がいてその争いに巻き込まれる、というお話ではあるが、物語自体は全くつまらない。なんのカタルシスもない。そして意味深な会話が繰り返されるが、その本意も分からない。
深読み裏読みをすればどうとでも読みとれる気がする。それほど物語は曖昧模糊としている。
でも映画であるならば、ある程度形のある物語は必要じゃないだろうか。シネフィルに人気の高いタルコフスキーだって一本の映画の中には読みとれる物語があり、その上で映像美があったり、深い主題があったりするのだから。
この映画を観ても、そこに登場する人物たちがどういう人で何の組織に所属している人なのかも分からない。動機も分からない。なので、木の所有権を争う、以外の物語は読みとれないし、それが暗喩する主題も分からない。
分からなくても映像に身を浸してそれが心地良ければそれで映画としては良いのだろうけれど、森や廃墟や投げやりな人たちという好みの事物は出てくるものの、全く酔えなかった。
たぶん波長が合わないのだと思う。でもなぜこんなに黒沢清が評価されるのかを知りたくなってまた彼の作品を観てしまうのだろうと思う。

サマータイムマシンブルース

2005年、日本、本広克行監督

大学SF研究部の面々が、部室にある壊れたクーラーのリモコンをタイムマシンに乗って昨日に取りに行く話。

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くだらない。心底くだらない。でもそれが良い。

仁義なき戦い』シリーズとか観過ぎてちょっと疲れた。映画館に行って観たのも『Fukushima50』とかでちょっと軽い映画が観たかった。そう思って観たけれど軽すぎる。でも良かったです。
大学生の夏休みの話だけれど登場人物たちは何も生産的なことはしていなくて何も青春を謳歌するようなこともしていない。ひと夏の想い出的なことも何もない。何もないけれどお話は滅茶苦茶練り込まれていてタイムトラベルに次ぐタイムトラベルという展開を見事に辻褄が合うように作り上げてる。何もない話を滅茶苦茶丁寧に作ってる。
でもこれ元は舞台らしいですね。京都のヨーロッパ企画のお芝居が原作みたい。それをうまく映画化したってことだろうな。しかし舞台でこの展開をどうやって表現したのだろうか。そっちの方が凄いと思うけれど。
15年前の映画ということで出演者が若い。瑛太ムロツヨシ上野樹里真木よう子錚々たる顔ぶれだけれどみんな無邪気な大学生を演じていてそれが似合ってる。なんかそれだけで微笑ましい。
何にも残らない映画のような気がするけど観ている間楽しかった。大学生の無為な夏休み
の一日って感じが逆にさわやかというか。何も主張していなくてただ楽しいっていう、こういう映画って逆に貴重ではないだろうか。

Fukushima50

2020年、日本、若松節朗監督

2011年に東北を襲った大地震により過酷事故を起こした福島第一原子力発電所。その時その場所で対応に追われた原発職員たちを描いた物語。

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当時は、ずっとテレビとネットで原発のニュースを追っていて不安になっていて、大変なことになると思っていた。後に水素爆発と伝えられたニュース映像を観た時は東北以北は人が住めない土地になってしまうんじゃないかとさえ思っていた。
そんな原発の中でなんとか大事故を回避しようと献身的に働いていた人達を描いた映画で、当時の記憶が蘇るような気持ちもあったけれど、やはり現実に国土が失われるのではないかという恐れに比べれば映画の中で体験する感情は違っていた。端的に言うと、どきどきすることはなくたんたんと観てしまった。原発の危機を連続して描けばよいものを途中で避難所の家族をはさんだりするからリズムが悪いんだと思う。原発事故の恐ろしさを伝えるには映画としてとても間の抜けた作りだったと思う。

感心したのは、首相や官邸とその周辺を無能で馬鹿な権力者と描いていたところ。為政者を批判的に描いた日本映画なんて最近あったかしら。そんなことが日本映画にできると思っていなかったので少し感心した。
映画の役割の一つをきっちり果たしていると思うが、ただそれが非自民党政権だったからできた、ということでないことを望みます。気骨ある映画人なら今の国会で行われていることも批判的に見ているでしょうから。

献身的であることや自己犠牲を厭わない精神というものはとても崇高で、それを描いた物語に沢山の人が感動するのは分かる。自分もそういうものには感動してしまうから。でも一方でそういう話は好きじゃないという気持ちもある。自己犠牲を尊ぶ前に犠牲がなければ回らない制度や犠牲を強いるシステムを憎むべきだと思うから。
この映画で言えば、原発の中で事故を食い止めようとした人たちは尊い働きをしたと思うけれど、原発は大事故を起こせば人間には制御できない人類にとって過大な装置だと思うし、それを軽んじたり推進したりする人間にも腹が立つ。ずっとそういう心持でいたい。

佐藤浩一が原発の制御室での責任者を演じていてとても良かった。過酷さとそれによる疲れとが感じられた。渡辺謙の所長も貫禄があった。でも他のキャストは重みがなくて印象が薄い。安田成美が原発の総務の役として出てたけれど、なぜそこに居るのか何をやろうとしているのか必要性が理解出来ないし大根で終始いらいらさせられた。

ラストは東北に桜が咲いて復興が進んでいてめでたしめでたし、みたいな感じで終わったけれど、原発事故はまだ終息していないという認識でいるのでアンダーコントロールでもないし、もう終わったことみたいなラストはもの凄く無責任で物事を美化すれば現実を歪曲出来ると思ってるかのようで凄く気持ち悪かった。

新仁義なき戦い 組長最後の日

1976年、日本、深作欣二監督作

関西ヤクザVS九州ヤクザの抗争の中で翻弄される菅原文太の物語

https://www.youtube.com/watch?v=U3J6yfQw8C4&t=97s

仁義なき戦い』から『新仁義なき戦い』と続いた実録ヤクザ映画の最終章。この後に工藤栄一監督作や、ずっと経ってから阪本順治監督作が続くけれど深作欣二監督作としてはこれが最後。感想はというと、正直もうしんどい。

物語は、九州ヤクザ連合の下部組織に所属する菅原文太が親分の仇を討つ為に関西ヤクザの組長を殺しに行くことで終焉となる。
1976年だと、大阪では山口組と他の組との抗争が現実に起こっていた頃で、本作で関西の坂本組とされているのは明らかに山口組がモデルだと思われる。なので九州の名もなきヤクザが山口組の組長を暗殺するという、その世界では有り得ないような夢のお話ということだろう。ファンタジー

仁義なき戦いシリーズをずっと見てきたけれど、今の日本映画とは本当に違うなあと。あまり日本映画を観に行かないけれど、映画館に行くと上映前に近日上映の映画の予告は沢山あって日本映画の予告も観る機会が多い。でもその殆どに食指が動かない。どれも「人情話やん」としか思えなくて。

先日『マスカレード・ホテル』という昨年の日本映画をビデオで見たけれど、長澤まさみが働くホテルで殺人予告があったのでキムタク刑事がホテルマンに成りすまして潜入捜査するという映画だった。ホテルでの仕事の大変さを描くのに、無茶な客に言い分にも従うとか、無茶な客だと思ってたら心温まる事情があった、みたいなことで、殺人事件の方はどうでもいい話で、結局人情話がメインかい、みたいな気になった。心温まるちょっと良い話とか映画でわざわざ観たくない。

それに比べて『仁義なき戦い』シリーズには、ちょっと良い話は皆無。いや、菅原文太だけは全編を通じて男としての行き方の模範を示しているのでいい話なのかも知れないけれど、そこで描かれるのは卑怯と臆病と保身と裏切りみたいな負の感情と行動のオンパレードで、今の日本映画が極力排除しようとしている要素ばかり。時代がまだまだ野蛮だったということなのかも知れないが、現実の生き辛さみたいなものが実際に身近にあるのにそれを描かないのはファンタジーでしかないから。ファンタジーでもただの夢の世界じゃなくて現実の何かが込められていないと観る価値があると思えない。

とはいえそんなお話ばかりをずっと観てるのも正直ちょっとしんどくなってきた。もうちょっと観るけど。