専門知は、もういらないのか/トム・ニコルズ 著

インターネットであらゆる知識に接続できる現代においては、専門家の知識や経験は必要とされていないのではないか、ということを考察する本。 

専門知は、もういらないのか

専門知は、もういらないのか

 

 
本書は、安全保障の専門家で大学教授の著者が、現代アメリカに蔓延する主に政治分野での専門家の軽視に対して警鐘を鳴らす内容で、そのような態度はどこから来ているのかを考察している。

ひとつは、インターネット。あらゆる情報を得ることができる(ように見える)インターネットの出現以降、専門家の持つ知識と同じ知識が得られると勘違いした人々がそのような態度にでる、ということ。そして彼等の得た知識は偏っている。それは確証バイアスというもので

確証バイアスは、自分の考えを裏付ける情報を探したり、自分が好む説明を強化する事実だけを選択したり、すでに自分が真実だと思っていることに反するデータを黙殺したりする傾向を指す。

とある。

他には大学が学生を顧客扱いして高等教育の役目を果たしておらず、専門教育が陳腐化していること。メディア、ニュースショーは様々な情報を提供するが、視聴者はその中から自分の好みの情報しか得ていない。他にも様々な実例が著してある。

昔からインテリや専門家を否定するということは庶民の中にはあって、頭でっかちだとか庶民の気持ちが分かっていないとか、逆に専門家でない者の方が新奇なアイデアを出せる、と言った言説はある。実例としては、普通の主婦が考案したキッチン小物がヒットして年商ウン億円、みたいなもので、専門家より素人の方が頭でっかちでない分、斬新なアイデアが出せる、といったことの適例として取り上げられたりする。
そして専門家が知識を披露した時には、「ちょっと詳しいからって偉そう」とか「そんなこと知ってても実生活には役に立たない」と言い捨てたりする。
確かに知識を披露して偉そうにする人もいるのだけれど、別に偉そうにしていない人にもそんな言葉が投げつけられる。
でもこういうのって自己防衛なんだと思う。知識のない自分を肯定するために知識を持っていることが良いことではないと言う風にして否定してみせる。知識のない自分をなんとかして肯定するための心の作用なのだと思う。

それと殆どの人は感情と感覚で暮らしている。知識を得てよく考えて物事を判断しているのではなくて、感情と感覚で判断してる。だから自分の感覚と違うものは否定するし、感情に寄り添ってくれる言説にはそれが正しかろうが正しくなかろうが賛同を示してしまう。
自分の感覚とは違うがよくよく聞いてみると相手の言ってることが正しかった、なんて人は殆どいない。最初の次点で相手を拒絶して話を聞くことさえない。本書でも「ポマーの法則」として

インターネットが人の意見を変えるのは、何も意見をもたない人に間違った意見をもたせるときだけ

と辛辣な書き方をしている。

インテリ批判というのは根強くあるが、そういうのを政治的に大々的にやったのは中国における毛沢東文化大革命カンボジアポル・ポト政権で知識階級を大いに殺しまくった。
庶民がインテリを批判するのは取るに足らないことだが、政治家や政治評論家といった人たちがそういう発言をする時には注意した方が良い。彼等の中にはポル・ポトが住んでいる。庶民の持つインテリ嫌いといったある種愚かな心情に寄り添って煽って焚きつけるのがとても上手な人たちが沢山いて、大阪ではそういう政党が幅をきかしていたりする。