ブレードランナー2049

2017年、米国、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作

2049年、市民に紛れて暮らす旧型レプリカントを処分する任務についていたブレードランナーのKは任務に従い農場にいたレプリカントを処刑する。しかし彼の周囲から30年前に失踪した女性レプリカントの痕跡を見つけ、彼女の謎を捜索することになる。
1982年に公開された偉大なSF映画ブレードランナー』の正統なる続編。

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賛否両論の本作ですが、俺にはとても良かった。静寂に包まれた孤独な被差別者の話だった。

前作『ブレードランナー』には3人の登場人物、リック・デッカードとロイ・バッティ、そしてセバスチャンがいる。
デッカードレプリカントを狩るブレードランナーとしての孤独な男であり、ロイ・バッティはレプリカントで少ない仲間はいるが彼等と逃亡した被差別者、マイノリティとして描かれる。そしてタイレル社の科学者であるセバスチャンは人間であり真っ当な職業を得ているが老化する病気を持ったマイノリティであり部屋に機械仕掛けの人形を置いて自己を慰めているようなこれも孤独な男である。

ブレードランナー2049』でライアン・ゴズリングが演じる主人公Kは、その3人の個性を併せ持った人格として描かれる。
Kはブレードランナーという汚れ仕事を請け負う仕事であり、冒頭の旧型レプリカントとの会話でKもレプリカントであることが明かされる。そして警察署内でも住居でも「人間もどき」といった差別語をぶつけられる被差別者で孤立している。そしてそんな被差別者である彼は人工知能が作り上げたホログラムの美少女に癒しを得ている。デッカードとバッティとセバスチャン、3人の個性を背負わされていて、3人に共通するのは被差別的な境遇にいる孤独な男ということだ。本作のKも孤独な戦いを繰り広げる。

Kは自分への差別を甘受しているかのようだが、そうではないと思う。捜査の過程で自分の出自からくる差別を塗り替えられるかもしれないと期待するし、それが失われた時に感情を爆発させる。「ゴズリングの押さえた演技が良い」といった映画評を見掛けたが、それは違うだろう。感情はあっても抑制しているレプリカントを演じているに過ぎない。しかし感情がないわけではない。だから希望が失われた時に抑制がきかず感情が爆発する彼に意味があるのだから。そんな苦い境遇に表情一つ変えずに耐えている孤独な男なのだ。

終盤、Kは人間的な振る舞い、行動によって物語を結末に導く。ラストの彼の表情は人間性そのものだといってよい。それなら彼を差別していたのは何だったのか?その出自?職業?それは彼が属するカテゴリーであって、彼個人のことではない。差別はその人のカテゴリーによって烙印を押される。出自、国籍、人種、肌の色、髪の色、障害、生活保護など。でも個人の個性と人格を知っても差別できるだろうか。優しい人間性をたたえた個人をカテゴリーだけで差別できるだろうか。そういうことを突きつけてる映画だと思えた。

ラストシーンでKに降る雪はロイ・バッティに降る雨と相似形である。