ハクソー・リッジ

2017年、米国、メル・ギブソン監督作

第二次大戦下の米国、宗教的理由で殺人を肯定できない主人公は銃を持つことを拒否し、その思想信条を理解されないながらも激戦地沖縄に衛生兵として赴くことになる。
沖縄、前田高地における日米の肉弾戦を描く戦争映画。

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この映画、戦場に参戦するまでの前半と後半とにくっきり分けられると思う。全然別の映画じゃないかと思えるほど前半と後半でくっきりと映画の色が違うのです。
前半は主人公が兵役に志願するも、その思想信条から人を傷つけることを忌避し、そのことで周囲から疎まれることになる。この部分では一切戦闘なし。寧ろ大戦を戦っているアメリカ国内が如何に平和かという描写でさえあると思う。
対して後半の戦場シーンはこれでもかという残酷でえげつない描写が繰り返される。その対比が凄い。落差が凄い。これは戦争の悲惨さを表すのに有効だったのじゃないかと思える。
戦場の残酷さを描いたということでスピルバーグの『プライベート・ライアン』が比較される本作ですが、残酷描写という点ではメル・ギブソンの方が勝ってる。爆風で人体が吹き飛ぶ様子が凄まじいんですよね。しかしこれはスピルバーグが戦場の残酷描写に先鞭をつけたからあるものでしょう。やっぱりスピルバーグは偉い。メル・ギブソンも偉いけど。

もうひとつ『プライベート・ライアン』との対比で言うと、この映画、というか戦場では米軍は攻める側なんですよね。
プライベート・ライアン』でも戦局的には攻める側だったけれど、最期の場面では連合国軍側が橋を守るという場面だったのです。ナチスドイツにこの橋を渡らせない、死守するという場面設定がなされていた。対して『ハクソー・リッジ』の米軍は侵攻する側で、そこのところは観客の心情に大いに影響があるんじゃないだろうかと思いました。
守る戦いと攻める戦いではどうしても守る側に感情移入する気がするから。沖縄が攻められているという日本人的感情もあるとは思うのだけれど。

主人公デズモンド・ドスを演じたのはアンドリュー・ガーフィールド。彼がこの役を演じる為にどんな役作りを考え、監督がどんな演出をしたのかは伺い知れない。ただこの映画を観て思ったのはドスを発達障害の青年として描いたのではないという気がする。発達障害の人たちは、健常者から見れば空気が読めないとされたり、過集中やあるものごとにこだわり過ぎると見られたりするが、ドスの生き方は人を傷つけない、人を助けるという方向に注力して周りと歩調を合わせることを度外視しているように見える。何の根拠もないけれどそう思う。そして発達障害だったとしてもその特性を存分に発揮する場面があるのだということを訴えているような気がする。

日本軍が大挙して押し寄せる場面があるのだけれど(予告編の0:35辺り)、それを観てポール・バーホーベンの『スターシップ・トゥルーパーズ』やないかい、これ。と思ってしまった。

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0:25辺りで敵であるバグが押し寄せる場面があるのだけれど、それとそっくりだと思ってしまった。太平洋戦争中の日本人なんて米国人にすれば異星人みたいなものなのでしょうか。

最後にもう一つ強く言いたいのは、主人公のお嫁さんになる役のテリーサ・パーマーさんが美し過ぎる。白衣の天使役が美し過ぎる。オーストラリアの役者さんらしいけど美し過ぎる。真剣に天使。

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『ハクソー・リッジ』の公開によせて | 浦添市