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困難な成熟/内田樹 著

読書

学者である著者が質問に対して答えるという形式で物事の考え方を提示する本。

“ひとつ目の問いはこうでした。「責任を取るということは可能でしょうか」
僕の答えはシンプルです。「不可能です」以上、おしまい。シンプルですよね。
でも、どうして責任を取るということが不可能なのか、その理路を語るためには、ずいぶん長いお話に付き合ってもらわなければなりません。”

この帯に惹かれて読んで見ました。

困難な成熟

困難な成熟

 

 常々、責任というものが何なのかと思っています。自分が仕事をする上では、失敗や不測の事態があっても、それを挽回する、復旧する、等々、要は処理するということが責任を全うするということだと思ってる。
でも大きな事業の長になると随分違う。大会社に不祥事があった時なんて社長がごめんなさいするか、引責辞任する程度でしょう?福島の原発事故の後、電力会社の社長が辞任したのなんかその最たるものだと思う。そんなことして頂いても何も事態は解決しない。それが責任をとるということなのか、そんなことで済むのなら責任者って何なんだ?と思ってる。

本書では、何事かの不始末が起こってしまっても
“一度起きてしまったことを現状に復することはできない”

よって
“「責任を取る」ことを求められるような事態に決して陥ってはならない”
と仰っている。まぁ分かる。そして

“どうすれば「責任を取る」ことを求められるような立場に立たないか、ということ”
と記している。ちょっと?と思うけど読み進めると

“「オレが責任を取るよ」という言葉を使う人間がひとり増えるごとに、その集団からは「誰かが責任を取らなければならないようなこと」が起きるリスクがひとつづつ減っていくのです。”
となる。これは納得。結論として

“責任というものは誰にも取ることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものなのです。というのは、「責任を引き受けます」と宣言する人間が多ければ多いほど、「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は逓減してゆくからです。”
と記している。

要は、責任という言葉は責任を取らなければならないような事態を回避する為にあるのであって、責任をとることなど人間には出来ない。個々人がその守備範囲で責任を全うしていれば大きな不祥事は起こり難くなる、ということかなと思う。

うーん。言ってることは尤もだと思うけど、ちょっと納得いかない。要は失敗しないことが第一で、組織の下部成員がちゃんとしてたら大事にはならないということだと思うけど、それは責任の話じゃないような気がする。責任について語るのに結論が失敗しないことが第一、だと何の話だっけ?ってなる。

例えば、複合的な機械設備を建設するのに、それぞれの分野、部分で担当者が自分の領分で責任を負ってるわけだけど、でもその隙間を縫って、弱い部分が重なり合って不具合というものは起こり得る。その時取り纏めの責任者の出来ることというのは、やっぱり、対外的にごめんなさいって言って、対内的には「しっかりやれやゴルァ」って言うくらいしか出来ないのかなと思う。

本書の中では、どんなことにも当て嵌まる理屈は存在しない、みたいなことも書かれていたのでつっ込むのは藪蛇なのかとも思うけれど、他の章を読んでいても、内田先生の理路の中には物作りに纏わること、人のことは一切入っていない感じがするな。学者さんなのでメーカーに勤めたことがないとか建設工事の現場を知っているのかなんて野暮は言わないけど、その分野に対する想像力は圧倒的に欠けている気がする。

面白いと思う論考もいくつかあったけど、そんなもやもやを残した読後感でした。