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春琴抄/谷崎潤一郎 著

明治初期、盲目で美貌の三味線師春琴と彼女に付き従う男、佐助の物語 。

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

 

 新潮文庫の夏のフェアでプレミアム・カバーと銘打って真っ赤な表紙に惹かれて読んでみました。

読んでみると、句読点が省略されて文章が続いているところが多々ある。これはわざとなのか、この頃の文体なのか、実験的なのかよく分からない。わざとなら、何でこんなことしたの?って感じです。

解説にも書かれていたけれど心理描写が殆どなかったような気がします。登場人物の行動が彼らの心象を表している。これは多分に映画的なのではないでしょうか。映画は映像であるので視覚的にものごとを表して物語を進めて、観客は登場人物の容姿、表情、行動でその内面を感じ取る。珠に登場人物が思ってること、考えてることを台詞で述べたり、物語に必要なことがらを非常に説明的な台詞で述べたりという映画もあるけれど、あまり褒められたものではない。

小説は映画とは違って、内面の心理も描くことが出来るわけだけれど、本作では主人公の春琴、佐助がどのように思っているか、考えているかをあまり表さない。彼らの行動が提示されて、二人の心の内、関係性を読者が想像するように出来ている。

文章での表現は、行間を読むという言葉があるように表現されていない事柄は読者が頭の中で補填していくわけで、その行間の隙というのが奥深かったり浅かったりするのが文章表現の技巧なのかなと。本作では心理描写がないが故に登場人物の心情を推し量る奥行きがあるのかな、とそんなことを考えました。