坂の上の雲/司馬遼太郎 著

愛媛の下級武士の子息である兄弟二人を主人公として、明治維新から日清戦争を経て日露戦争の陸戦、海戦を描く長編小説。 

坂の上の雲(一) (文春文庫)

坂の上の雲(一) (文春文庫)

 

 

面白かった。文庫本で全八巻の大長編ですが、一気に読んだというくらい読み耽けってしまった。

戦記という小説の形態だと思う。全八巻の内、三巻の中盤以降は日露戦争についてのお話で、兄の秋山好古は陸軍の騎兵隊として、弟の秋山真之は海軍の参謀として従軍する。そして陸海の戦況と日露双方の国内情勢が描かれる。

司馬遼太郎の熱心な読者ではないけれど、一時期『街道をゆく』のシリーズをずっと読んでいたことがあって、その時に気付いたのは司馬遼太郎という人はあまり悪口を書かない人だなと思ったのでした。『街道をゆく』はその題名通り、道を起点としてその土地の歴史を語るという随筆なのだけれど、歴史を語るのにその時々の権力者、武将、為政者を語らないわけにはいかないけれど、あまりどの人物に対しても辛いことを言わない。珠にあったとしても仕方のない事情、情勢があったということを付け加えたりして、一方的に、愚者であった、というようなことを書かない。それがとても心地良い読後感に繋がっているという印象があった。

坂の上の雲』でも登場人物たちの殆どが、その職務に忠実で罪のない人として描かれる。旅順攻撃の乃木希典の参謀は、唯一愚かな参謀として描かれるけれどそれは例外で、皆が自分の職務の範囲で懸命に努力している人として描かれる。そういうところが心地良くすいすいと読み進められるのかなと思ったり。

それと、小説なのだけれど時々司馬遼太郎自身がちょっと顔を出したりするのですよね。お話の中に「蛇足ではあるがこの当時の日本陸軍というものは」みたいな感じで作者が登場して現代の目線から解説したりする。こういう小説って今時あるだろうか。手塚治虫の漫画に珠にベレー帽をかぶった手塚自身が出てきたりするようなそんな感じがあった。

歴史小説というものの読み方というものもちょっと考えた。作中で描かれる登場人物の細かな台詞や情景描写は小説ならではのものだろうけれど、戦況や当時の出来事は資料を元に描いているのだろうと思う。思うけれど、司馬遼太郎ほどの人ならかなり資料に基づいて正確に記しているだろうけれど、これは小説、と思いながら読まないと、これを読んで歴史が分かったような気になるのもまずいような気もしている。歴史小説を読んで歴史を分かったような顔をするのは危険だと思うから。

主人公二人の戦場での活躍が描かれる小説でもあって、それは英雄の話だよなあとも思う。なんで英雄の話が老若男女問わず好きなのか、自分はもっと駄目人間の話が好きな方だと思うけれどやはり惹かれる気持ちはあって、なんでそうなるのかはよく分からない。

まとまりのない感想文ですが、あとがきに書かれた司馬遼太郎の文章が印象的だったので少し長いけれど引用しておきます。

要するにロシアがみずからに敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。
 戦後の日本は、この冷徹な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘性を信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が後退して狂騒の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を凶器にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。 

 

明治維新(1868年)から太平洋戦争の終結(1945)までが77年。そこで<敗戦が国民に理性あたえ>た。それから今現在の2018年までが73年。
今の政治の腐りっぷりを見ているともうすぐ国民は理性に目覚めなければいけないだろうし、70年ちょっとくらいの年月が経てば権力は劣化するというものなのかもしれません。

ワイルド・スピード/スーパーコンボ

2019年、米国、デヴィッド・リーチ監督作

ドウェイン・ジョンソンジェイソン・ステイサムが大暴れする映画。

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お馴染みワイスピ・シリーズの最新作で、主演二人以外のこれまたお馴染みメンバーが登場しない外伝的なもの。


今作のテーマは肉弾戦ではないでしょうか。カーアクションより素手で如何に沢山の敵をやっつけられるか、みたいなところが盛り上がりのシーンとして設定されてます。でも、まあ、テーマなんかないですよ。というか、ないと思って観るべき。色々考えたりする映画じゃないから。

監督はシャーリーズ・セロンの女スパイものでめちゃ格好良い映画だった『アトミック・ブロンド』の監督、デヴィッド・リーチ
スタントマン出身ということで肉弾戦が撮りたかったのか、でもやはりこの主演二人だからということかもしれません。

カーアクションのシーンは勿論あるのだけれど、CG全盛の時代になってカースタントの場面というのは軽くなったような気がする。「どうせCGなんでしょ」と思って観てしまうから。

まあいっぱい人が殴ったり殴られたり色んな物が壊れたり爆発したりして楽しいです。そういう映画。

ザ・ファブル

2019年、日本、江口カン監督作

派手な仕事を終えた殺し屋は、1年間は大人しくしていろとボスに言われ大阪で普通の暮らしを始めるが、トラブルに巻き込まれヤクザ相手に大立ち回りを演じることになる。

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日本映画を観る時には、ハリウッド映画のような巨額の予算が投じられていないということを予め了解した上で観賞している。なので、そこはリアルではないのでは?とか、脚本が甘いのでは?とか、人物描写に奥行きが感じられないけどとか、CGが、というようないちゃもんをつけても仕方ないと思ってるのです。同じ映画料金払ってるのだからと思わないでもないけれど、ちょっと甘い目で映画を観てる。
でも俳優の演技というのは日本映画の方が分かる。洋画というのは異国のお話で、一種ファンタジーのような赴きがあるのと、言葉も違うし、実生活でも身ぶり手ぶり、リアクションの仕方も違うので俳優の演技が上手いとか下手とかいうのはあんまり分かんない。たぶんみんな上手なんだとは思うけれど。

本作でいくと主演の岡田准一はアクション俳優としてもコミカルな部分の演技でも文句なし。残念なのは最後のアクションシーンでは岡田准一演じるファブルは覆面をしているのだけれど、あれは覆面なしで出来なかったのか。謎の殺し屋という設定なので正体を知られない為に覆面をしていなければならないけれど、せっかく主演俳優がアクションシーンをこなしているのだから顔を見せたままやった方が良かったんじゃないか。お話の都合上難しいのは分かるけど。

それと女優陣2人がとても良かった。たった二人しか女性の出て来ない映画でしたが、ファブルの相棒役の木村文乃さんがとても良かった。特に目立った活躍シーンというものはなかったのだけれど、映画の中の登場人物を演じている女優ではなく、映画の中にいる人のように見えた。どこがどうとは言えないのだけれど凄い好きになった。もう一人の山本美月さんはCMなどで見覚えのある方ですが、関西弁が結構上手くて関西出身の方かなと思ったら福岡出身らしいです。でもまあ凄い美人。

あとね、柳楽優弥。凄い怪演。刑務所から出所したばかりの、ちょっとネジの外れたヤクザを演じているのですが、めちゃ恐い。恐いけどちょっと愛らしい。そしてキレっぷりが半端じゃない。福士蒼壮汰もこれまたネジのはずれた殺し屋を演じているのですが、ネジの外れ方が格段に違う。柳楽優弥の圧勝です。

その他、殺し屋のボスを演じる佐藤浩一がやっぱり渋かったり、光石研の親分がでてきたり、ファブルのバイト先の社長を演じる佐藤二朗が妙に味があったりしてなかなかに俳優陣で楽しませてもらった映画でした。