告白/町田康 著

河内音頭で歌われる、明治期に起きた「河内十人斬り」と言われる事件を題材にしたお話。

告白 (中公文庫)

告白 (中公文庫)

 

 

文庫本で800頁もあって、寝転んで読んでいると腕がだるいかなわんなとなるような本ですが、読んでる間はずっと、おもろいなんでこんなおもろいんやこのおもろさの根源はどこにあるんやろしかしおもろいなと頁をめくる手が止まらなくなる、そんな小説でした。

今でいうと大阪の千早赤阪村のあたりにある村が舞台。主人公の城戸熊太郎は農家の出なれど博打と酒と遊興に身を持ち崩して生活しているような男です。しかし彼の中ではまじめに百姓仕事をしない理由があって、作中では熊太郎を「思弁的」であると評しているように自分の中に色々な考えがあるがうまく言葉にできずにいて、村の者たちと自分は違うと考え、それゆえに真面目に仕事をするのが恥ずかしくて無頼な生活をしているのです。そんな風だから村の中では多少の畏怖もありながら、鼻つまみ者、厄介者として扱われている。
そんな熊太郎にも弟分の谷弥五郎がいて、弥五郎はまだ少年だった頃に博打場で助けられたことを恩義に感じて熊太郎を兄貴と慕いつつも一方では「しゃーない人やな」とも思っていたりする。が、それもまた愛情であったりする。
一方、村には村会議員である松永という家があり、この長男の熊次郎という男に主人公は何度となく騙され煮え湯を飲まされる。そして熊次郎の弟である寅吉は兄に反目して主人公と仲良くしているようでいて、熊太郎の内縁の妻と浮気をしてしまったりする。などなど松永家に対する不満や怒りが蓄積してついに、あいつらは殺してしまうしかない、と弥五郎と共に修羅場を演じるのです。

十人斬りに至る場面は作中のほんとに最後の方で、それまでは熊太郎の幼少期から大人になりやくざな生活をするに至る成長というか堕落というかそういう暮らしが描かれていてそれがもうずっと面白い。
やたけたな人、しゃあない人の話というのはどうしても面白くて、登場人物の情けなさやだるさや滑稽なところなど、いい加減な人間ばかり出てきて誰もちゃんとしていないので目が離せなくなる。
こういう駄目な人たちって親戚や身近に関わる人にいると本当にかなわん人だけれど傍で見ている分には滅法面白くて、昔近所にいた右翼のおっちゃんを思い出した。酔っ払って自分の街宣車に乗って「俺の話を聞けー!」と連呼しながら近所をぐるぐる回ったり、町内会の行事にいちゃもんをつけて町内会長に殴られたりする人だった。市会議員に出るといって出なかったり道端で酔っ払って泣いてたりもした。あーゆーおっちゃんって関わり合いになるとほんまにしんどいのだけれど何故か憎めない魅力を持っているのが不思議。馬鹿にされたり笑われたりしたくないなら善行を積み重ねて周囲の信頼を勝ち得る方向に舵を切ればいいと思うのだけれど、できないのか敢えてやらないのかずっとそんな人のままでいて、道で会って挨拶したりすると「おう元気でやっとるか」みたいに顔役みたいな振りをしている。なんでああゆう人のことを見聞きしたりするのは面白いのですかね。本作でもそんな熊太郎のやることが面白くてしゃあない。

それと主人公熊太郎の頭の中に色々考えはあるがそれが言葉として口から出て来ないという性格も面白い。村の人たちは自分が思っていることを素直に言える。しかし熊太郎は頭の中にある本当に自分が言いたいことが今の言葉で表現できないがゆえにもどかしい、と考えている。
そういうことは誰にでもあるのではないでしょうか。色々と考えはあるがまとまらないとかうまく言えないとか。でもそういう時って結局言いたいことは大してなくて感情が渦巻いていたり色々反発してるだけだったりしないでしょうか。

いがらしみきおの漫画『ぼのぼの』にシマリス君が頭の中にあるもやもやした考えをまとめるために何か書き出してみようとするのだけれど何を書いたらいいか分からず、取り敢えず地面にうずまきを描いて自分自身も困惑する、というものがあった。
自分の考えをまとめてみようと兎に角頭の中にあるものを文章にして書き出してみようと思い、始めたものの大して筆は進まず、自分の中にこれといった考えがないことに気付いたりする感じ。もやもやしているから色々充満している気がするが輪郭線をひいてみたらその中身は案外空虚だった、みたいな。

嗚呼、そしてこの感想文もうまく書けていない。もう少し色んなことを思いあんなことやこんなことを考えたはずなのに。忘れてしまったのかそんなものは最初からなかったのかももう分からない。

くだんの右翼のおっちゃんも「俺の話を聞け!」とは言っていたものの、だったら何を聞いて欲しいのよと思っても、ただ「俺の話を聞けー!」としか言ってなかったから。

 

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大日本帝国の興亡/ジョン・トーランド 著

大日本帝国の興亡〔新版〕1:暁のZ作戦 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕1:暁のZ作戦 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

日本が中国に進出し、2発の原爆が投下されて敗戦に至るまでの太平洋戦争全史を日米双方の視点から描いたノンフィクションです。
5巻からなる本書ですが、その半分以上は日本軍が負け続け米軍が進軍していく過程で埋めつくされています。そのどれをとっても、補給も増援もないまま精神力だけで陣地を死守せよと命令される日本軍に対し、着実に兵站の足掛かりを築き物量で圧倒する米軍の姿が描かれている。米国は同じ時期にヨーロッパ戦線にも派兵していたわけで、国力の違いを見せつけられます。

読んでいて思ったのは、もう70年以上前のことではあるけれど日本人の精神性というのはあまり変わってないんじゃないかと思いました。本書で描かれている日本軍と政府の悪いところは、今の世の中や企業文化の中にも確実に残ってる。
前線へ兵士や武器を送ることができないまま現場の部隊に決戦をせまるところなどは、現代でも密な計画も策略もないまま下請けや現場に全てを丸投げしてしまう仕事のやりかたに似通っている。
敗戦濃厚となった戦況において無条件降伏を受け入れるかどうかを判断する重臣たちの会議では、陸軍の面子や海軍の維新などと言って誰もはっきりと降伏を受け入れると言いたがらない。こういうのも、誰しも現状を収拾するのに苦い結論を受け入れなければならないことは分かっているけれど、それを自分から言い出すのは避けて誰かが切り出さないかとぐずぐず会議を続けるといった場面を今までの職場で幾度も見てきた。そして誰もそれを言い出せないから目を背けたり先送りしたりして更に事態が悪化するという始末。何度も見てきた。
それらを、国内向けには戦況が悪いことを公表しなかったり誤魔化したりするのも、現代の政府の統計不正や企業の粉飾決算と同じことだと思う。目の前の課題を解決することよりも、より労力の掛らない誤魔化しや嘘に手を出してしまうという構図。
こういうのみんな大日本帝国の頃から脈々と続いていることじゃないだろうか。

外国で生活したことはないのだから「日本人とは」みたいな話はしたくないけれど、本書を読んでいるとアメリカとは違う日本人らしさの良くない部分が色々と垣間見える気がします。

本書は5年の取材期間を経て1970年に刊行された書籍で、まだ関係者が存命であったことから各方面に取材、インタビューを行って執筆されたとのことで、作者はアメリカ人であるけれど奥様が日本人であることから日米双方について平等に記述されている印象を受けました。
マスコミが報じない真実、みたいな与太話を鵜呑みにするよりは本書のような書物を読んだ方が百万倍価値があると思います。

 

大日本帝国の興亡〔新版〕2 :昇る太陽 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕2 :昇る太陽 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 
大日本帝国の興亡〔新版〕3:死の島々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕3:死の島々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 
大日本帝国の興亡〔新版〕4:神風吹かず (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

大日本帝国の興亡〔新版〕4:神風吹かず (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 
大日本帝国の興亡〔新版〕5──平和への道 (ハヤカワ文庫NF)

大日本帝国の興亡〔新版〕5──平和への道 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

ハンターキラー 潜航せよ

2019年、米国、ドノヴァン・マーシュ監督作

ロシア近海で米国の潜水艦が行方不明になり、救命艇を装備した攻撃型潜水艦が調査に向かった。しかしロシアでは国防大臣が大統領を幽閉しクーデターの真只中だった。

www.youtube.comいわゆる潜水艦ものというやつですね。潜水艦ものというとショーン・コネリーの『レッドオクトーバーを追え』とかデンゼル・ワシントンジーン・ハックマンの『クリムゾン・タイド』とかあって、どれも面白かった印象が残ってる。
潜水艦の映画は、暗く狭苦しい艦内での圧迫感が描かれて、それが潜水艦同士の目に見えない戦闘の緊張感を増幅させて面白さに繋がってる感じがします。

でも本作はそういう潜水艦同士の戦闘はあまりないのです。というか盛り沢山にしようとして逆に緊張感がないの。
米国の潜水艦がロシア領海、軍港に侵入していくくだりは面白いのだけれど、平行して特殊部隊の4人が陸から拉致されたロシア大統領を救出するという展開も描かれる。こっちの方がとんとん拍子過ぎてちょっと拍子抜けするのです。もしも自分が中学生くらいだったら楽しめたと思うけれどもう随分大人なのでちょっとね。でも「ご都合主義過ぎるやろ」と思いつつも「娯楽作品なんだから固いこと言うな」という気持ちが両方自分の中にあって素直に楽しめなかったけれどあまりくさす気にもなれない、そんな気分です。

潜水艦の艦橋のセットは素晴らしくてやっぱりアメリカ映画って凄いなと思います。急速潜航する為に艦が前傾する場面では、乗員が床に対して斜めに立っているという場面があって、セットを傾けて撮影しているらしいです。こういう大掛かりなことなのに何気ない一場面にしてしまうところが偉いです。

Machina Nostalgia/ジュリエッタ・マシーン

Machina Nostalgia

Machina Nostalgia

 

ジュリエッタ・マシーンは「聴くモルヒネ」とも称されるバンドで、その通りに心地良い楽曲たちが収録されたアルバムです。
メンバーのキーボード江藤直子さんは、Phew大友良英山本精一とのバンドNOVO TONOや映画音楽、ドラマの劇伴もやっていて、今のNHK大河ドラマの『いだてん』の音楽にも参加しています。ベーシストは元スターリン、ドラマーは菊池成孔DCPRGにも参加していたりと強力メンバーなのです。

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こういう音楽をなんと紹介すればいいのか分からないけれど、不思議な浮遊感があって聴いているのが気持ち良い。
長い間ロックンロールのリスナーだったので音楽を聴くのは気分を高揚させる為のものだったから、こういう音楽の魅力に気付かないでいたけれどいつの間にか聴けるようになった。高揚感だけでなく他の感情や感覚を呼び起こす音楽も良いと思えるようになったのはいつからだろうかとも思うが思い出せない。

ライブにも先日行ってきました。

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生演奏でのジュリエッタ・マシーンもとても良かった。ただ座って音楽がある空間に身を浸しているような感覚になって江藤直子さんの朴訥としたMCも微笑ましかった。
いつ頃からそう思うようになったのかは思い出せないけれど、自分の演奏や歌を聴いて欲しいと思っている音楽と、自分のことを好きになって欲しいと思ってやっている音楽は見分けがつくようになった。

GATE/SISSY SPACEK

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MAN IS THE BASTRADのノイズユニットBASTRAD NOISEにも参加していたJohn WieseによるノイズコアバンドSISSY SPACEKのCD。7インチで出たものを合わせてCDにしておまけにライブ音源も入れました、というもの。

ドラムがブラストビートを叩き出し、ノイズが暴れまくる中でボーカルが吠えまくっていて最高にうるさい。
似たバンドで大阪にWORLDってドラムとツインボーカルのバンドがいました。めちゃ格好良くて昔買った7インチを時々引っ張り出して聴いたりするけど昨年はアルバムが出てるはず。手に入れてないけど。

パンクから始まったハードコア、グラインドコアという音楽は怒ってる音楽で、社会に対する怒りのエネルギーを音楽にして表現するものだと思ってます。愛とか恋とかの音楽じゃない。なのでその怒りを表現する為にスピードを追求したり、重さを突きつめたり、一般的に言われる「美しい音色」とは逆の音色で塗りつぶしてる。ノイズも日本のものはパンク、ハードコアを通過して出てきたという歴史があるのでその通り。

でも怒ってる方が良いと思うんですよね。そんな怒ってないで今身の回りにあるものに感謝して満足して暮らした方が幸福に生きられる、みたいな言い方ってあるけれど、世の中の事柄に意義を唱えなければそのままでしょう?例えば、女性参政権なんて怒りを持った女たちがずっと声を上げてきて獲得したものでしょう?そうやって怒りや不満を表現していかないと。現状に満足しているだけでは改善も改良もそこには存在しないのだから。新興宗教にでも入信するならそういう生き方をすればいいだろうけど。

でもドゥームメタルなんかは怒りを通り越して諦めきったダルさみたいなのが良かったりもするから、まあ色々ですね。

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