極私的2016ベスト

年末なので今年のベストを

■映画
インサイド・ヘッド

augtodec.hatenablog.comいきなり2015年公開作品でビデオ鑑賞なんですけど、これを挙げずして2016は語れない。もうボロ泣き。落涙。嗚咽。泣き過ぎて最期の方はしゃっくり。それぐらいの涙。ピクサー最高傑作と断言していいと思う。
だって最高なんですもん。心理学的な内容を子供向けの冒険譚に仕上げて、それでいて大人も泣かせるという手腕に敬服して土下座しない人はいないと思う。今年のアニメでは『この世界の片隅に』がもの凄く良かったけど、それでもこれをベストに入れずにはいられない。
以来おもちゃ屋さんでフィギュアのコーナーがあるとインサイド・ヘッドのフィギュアがないか隈なく探していますが全然ない。なんかアニメっぽいやつしかない。フィギュア業界は心を入れ替えてインサイド・ヘッドのフィギュアを大量生産して欲しい。ヨロコビのフィギュアが欲しい。

次点
シン・ゴジラ

augtodec.hatenablog.com映画館で観た映画も。この映画って一切人情話がでてこないんですよね。ただただ冷徹に状況を判断してそれを実行するという愚直な仕事の様を描いている。仕事を描いた物語でも人間関係だとかちょっとした恋とかすぐ描きたがる映画が多い中でストレートなお仕事映画でした。仕事ってのは情や人間関係で判断が鈍ったらいかんよ。


■読書
ポル・ポト ある悪夢の歴史』

augtodec.hatenablog.com素晴らしかったです。寝て読んでたら腕が疲れるくらいの分厚い本でしたが夢中になって読みました。
キチガイの話って面白いじゃないですか。連続殺人鬼とか。偉人とか天才とかの生涯が伝記や物語になるのもあの人たちは常人の考える常識の枠に収まらないという意味で基本的にキチガイだと思うんですよね。だから面白い。良い功績があるからチャラにされてるけど基本的にはキチガイだと思います。
ポル・ポトっていうのは完全に負の方向にふりきったキチガイで、尚且つ一人で狂ってたわけじゃなくて国を動かすほどの人間が狂っていたということで、人類史に残るキチガイなのです。アドルフに並ぶ狂いっぷりだと思う。いかつい本でした。

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日本会議の研究』

augtodec.hatenablog.comベストセラーにもなった本書ですが、刊行以降は日本会議のことってマスコミでも随分取り上げられてますよね。その口火を切ったという意味でとても重要だと思うし、現在の政権の右傾化の深淵を暴くという意味でも大きな功績があった書籍だと思います。

 

■音楽
INCAPACITANTS@難波ベアーズ

augtodec.hatenablog.comノイズの教科書INCAPACITANTSのワンマンライブ。いやー、もう凄かったもの。耳がおかしくなったもの。突発性難聴になったもの。ほんとあの迫力って何なんですかね。たかが音ですよ。それもメロディーもリズムもないノイズ。ギャーとかビーとかいってるだけですよ。でも圧倒的なパッションを感じる。激情の塊。感情の嵐。凄すぎました。最高です。言葉になんかできないです。

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SHISHAMO3

augtodec.hatenablog.com3ピース・ガールズロックバンド、SHISHAMOのアルバム。地味に何回も聴いてます。こういうのが好きだって言うのちょっと恥ずかしいけど好きなものは仕方ない。

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映画も本も音楽も量をこなせていないのです。ベストを選出する資格はないくらい。やっぱ経済的に困窮しているのがいかんです。来年はもう少し良い年にしたい

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

2016年、米国、ギャレス・エドワーズ監督
帝国軍の究極兵器、デス・スターの開発者を父に持つ女性は反乱軍に雇われデス・スターの設計図を盗み出す任務に挑む。

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第一作『スター・ウォーズ』の前日譚となるお話で、本編の物語とは違う登場人物たちが活躍する作品です。とはいえエピソード4との整合性には気を使っている作りになっています。
アニメでは派生作品はあるようですが、実写映画による外伝物は初ということで期待して観ました。

色々つっこみ所はあったけれど基本的に面白かったです。スペースオペラなので細かいこと言ってもしょうがないから。
スターウォーズの魅力って、驚きのビジュアルにあると思うんです。初期3部作で作り上げた設定と世界観があって、その世界を視覚化して見せてくれるという魅力がある。
第一作から暫くはCGのない時代の作品で、その驚くべき視覚体験が素晴らしかったし、特殊撮影がどうなってるのかという驚きがあった。続くep1~3はCGでどれくらい凄い世界を見せてくれるのかという期待もありました。
CGでの技術が発達して普及した結果、その技術自体に驚くことは無くなったわけで、だったらどうするかというと映画的に盛り上がる映像を創り出さないといけない。本作はその辺りに挑戦してる感じがします。砂漠の中の町とその真上に浮かぶ巨大宇宙船や市街戦で歩行する兵器が襲ってくる場面、南国のような惑星で繰り広げられる戦闘機同士のドッグ・ファイト、巨大宇宙船をタグボートのような小さな宇宙船で押してぶつけてしまうギミックなど映像としてとても楽しめる場面が多かったです。SF映画の楽しさという点では申し分ないのじゃないでしょうか。

登場人物たちも完全な善といった感じではなく陰のある設定になっていて、その辺りも好感です。矛盾のない潔癖な人間っていないから。

C3POR2D2がちょこっと出たり、他にも見覚えのあるキャラクターが登場するのはファンには楽しいのじゃないでしょうか。ただ、これは全く無しでも良かったのじゃないかという気がします。それが分からなくても楽しめるので良いんだけど、もう全くの外伝物として作り上げても良かったとも思う。とはいえep4の前日譚という設定なのでその辺りは逃れられないものでもあると思います。

本作の製作がアナウンスされてから、それってどうなのよ、みたいな気はあったんです。スター・ウォーズのシリーズはその設定を使えば幾らでも面白いものは作れるだろうけど、あんまりそういうことするとシリーズ自体が軽くなってしまわないかなと。でも本作を観てちょっと考え方が変わりました。面白いんだからどんどんやればいいんじゃないでしょうか。もう全く関係ない別の場所での別の登場人物のお話なんかもやればいいと思う。

まあ、でも、本作はダーズベイダーがいかに格好良いかということを示す作品だと思います。それに尽きる。

この世界の片隅に

2016年、日本、片渕須直監督作
太平洋戦争当時、18歳で呉にお嫁に行った主人公の生活を描くアニメーション作品

www.youtube.comとても良い映画だったと思います。小さなエピソードを重ねていくことで時代と場所を描くという丹念な仕事が窺える映画でした。

映画を観終わって一番最初に思い出したのは山田洋次監督の『小さいおうち』でした。

小さいおうち - 8月~12月
『小さいおうち』は実写映画ですが、ある一家とそこに住みこみで働く女中の視点から戦時中の日常を描くことで戦時下の庶民の姿を描いていました。で、『小さいおうち』は山田洋次による小津安二郎リスペクト映画なんですよね。小津映画に出てくるモチーフも登場するし。
小津安二郎の映画というのは家族劇で、普通の人の普通の生活を描いてる。事件ともいえないような出来事が起こってそれにまつわる人たちの生活の機微が丁寧に描かれている。

こういう映画って大事だなと思うんです。映画でも小説でも偉人、天才、英雄といった特別な人を描く。その方が面白いってのは分かる。非日常を観たいという欲求はあるから。でもやっぱり普通の人も描いて欲しいんですよね。普通の人の普通の生活こそがその時代の殆どを支えているわけで、特別な人を時代のイコンとして描くのもいいけど、でも普通の人も描いて欲しい。

普通の人間の日常を描いて面白い映画にする方がたぶん難しいと思うんです。特別な人が特別な時代に特別な事件に巻き込まれれば否が応にも面白くなる。でも日常生活なんて小さなさざなみみたいなものを見せるのは丁寧さというか丹念な仕事というかそういうものが必要になってくると思う。小津安二郎は映画の中にでてくるセットや小物にまで自分の美学を徹底した人で食卓に並ぶ食器、女優が持つ手ぬぐいの柄にまでこだわっていたという。そういう細かい目配りが美しい日常を描き出すのだと思う。

アニメーションというのは描かなければ何も表出しないわけでそれがゆえに大変な労力が必要になる。映画ならそこにある風景を写せば画はできあがるけれど、アニメーションではその風景さえも全て描かなければならない。
しかし逆に言うと画面の隅から隅まで演出を施すことも可能だということになる。実写映画なら風景の一部に映したくないものがあっても映り込んでしまう。黒澤明のように「あの雲をどけろ」なんて言える監督ばかりじゃない。でもアニメーションならそれができる。画面の中に現れる草も虫も風景も人も皆、製作者が描きたいものを描くことができる。それは大変な苦労だけれど、『この世界の片隅に』はそれをやってのけたということだろうと思います。丹念な仕事、丁寧な演出が画面の端から端まで行き届いていてその全てを観客は理解しておらずとも伝わるものがあるということだと思う。

山田洋次監督も本作をお褒めになっておられるということで、やはり何か通じるところがあるのではないかと思うのでした。

 

いま世界の哲学者が考えていること/岡本裕一朗 著

書名の通り、世界の哲学者たちは今どんな問題に取り組んでいるのかを紹介する本。

いま世界の哲学者が考えていること

いま世界の哲学者が考えていること

 

 目次を列記すると
1章 世界の哲学者は今、何を考えているのか
2章 IT革命は人類に何をもたらすのか
3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか
4章 資本主義は21世紀でも通用するのか
5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか
6章 人類は地球を守らなくてはいけないのか

という感じです。
第一章にも書かれていて、日本では哲学というと「人生論」を語るものというイメージですが、そうではないんですよ、世の中の色んなことについて哲学者は考えているんですよ、ということを浅く広く伝える内容です。

目次を見ると、情報技術、生命科学、資本主義、宗教、環境問題といった技術や経済、宗教といったものについて世界の哲学者が思索をめぐらせていることが分かります。こういうことって社会学みたいな分野の人がやることだと思っていました。文系学問の領域にあまりにも無知なのを痛感します。

技術も経済も宗教もそれぞれに専門分野の学者がいるわけで、専門の人たちが先鋭的に深く研究しているものを、哲学者は俯瞰したり人間社会にどんな影響があるかを推し量るという感じでしょうか。
面白いのだけど、物の見方を提示しても世の中というのはどんどん進んでいくわけで、その辺りは少し無常感が漂います。決して無駄なことだとか言うつもりはないのだけど、世の中を変えるのは言葉じゃなくて技術だと思っているので。

きみの言い訳は最高の芸術/最果タヒ 著

詩人である著者による随筆集

きみの言い訳は最高の芸術

きみの言い訳は最高の芸術

 

 少し前にとある音楽家が「音楽に罪は無い」とtwitterでつぶやいていた。確かに罪はないだろう。ある音楽を聴いて、それに触発された人物が殺人を犯したとしても音楽がその契機だったとは立証できないのだから罪を問われることはないだろう。というかそもそもそういうこと自体が有り得ないだろう。音楽を聴いて発狂する人間は幾らかはいるかも知れないが、そんなことはあまり起こらない。激しく陰鬱な音楽を聴いたからと言って犯罪を犯すということはない。犯罪を犯す奴がその音楽を聴いていたに過ぎない。
「音楽に罪は無い」というのは正しくその通りだとは思うが、罪を犯すほどの効力もないと云えるかも知れない。心臓が熱くなるというくらいのことはあるだろうが、人を狂わせるほどの魔力がある音楽があるなら是非聴いてみたい。チャールズ・マンソンの録音した音楽がそういうものだなんて言われたけど眉唾でしょう。きっと。

文章でなら人を動かすことは出来るとは思う。テロリストの思想的指導者といった人物はその言動、出版物が教唆に値するとして投獄されることはある。言葉で人を正しいにしろ間違っているにしろ動かすことは出来る。宗教も同じようなものではないだろうか。言葉によって広められ信者を獲得し彼等を動かす力を持つ。
科学書や経済書や教科書といったものに書かれた言葉は人を動かすものではないけれど、情報を伝達するという機能がある。それは実利的だと思う。

「詩」というものを考えたなら、詩が人を動かすことはあるだろうか。一般的に想像する「詩」が人を動かすとは思えない。人を扇動する詩というものがあるのだろうか。不勉強ながらそういうものがあるのかどうか知り得ない。

「詩」というものにあまり価値を見いだすことができないでいる。好きでないのであまり接していない、だからあまり知らないというのが本当のところです。俺の思う「詩」というものは美麗な言葉で装飾された特に機能を持たない言葉というイメージです。現実の物に例えるならばアクセサリーや貴金属のような装飾品だろうか。綺麗で美しいのだろうけれど、実用的な価値は何もない。でも価値は人々に認められている。そういうところが装飾品と「詩」は似ているような気がする。

不勉強な中でも好きな詩人はいて、唯一好きなのは山之口漠で、明治後期に生れた沖縄出身の詩人です。好きな一篇を引用してみる。

 『妹へ送る手紙』

 

なんという妹なんだろう
兄さんはきっと成功なさると信じています とか
兄さんはいま東京のどこにいるのでしょう とか
ひとづてによこしたその音信のなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた 六、七年振りに手紙を書こうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思うのです
そんなことは書けないのです
東京にいて兄さんは犬のようにものほしげな顔をしています
そんなことも書かないのです
兄さんは、住所不定なのです
とはますます書けないのです
如実的な一切を書けなくなって
といつめられているかのように身動きも出来なくなってしまい
満身の力をこめてやっとのおもいで書いたのです
ミナゲンキカ
と 書いたのです

 という感じです。とてもみずぼらしくて貧乏くさくて駄目人間ブルースなところが好きです。こういう情感が好きなのだと思う。

「詩」は装飾品のようなものと書いたけれどお香のようなものかも知れない。ただ香りを楽しむだけの他に何も実利のないようなもの。味覚を楽しませる為に探し歩いて美味しいものを食べるけれど、やはりそこには栄養価という実利が伴う。嗅覚を楽しませるだけの香にはそれ以上の効用はない。リラックス効果だとかそういうものはあるかも知れないけど、それだって定量的なものではない。
そう思うと音楽もイメージや空気を創出して聴覚を楽しませるだけだから同じかも。詩もその言葉によってある感情や雰囲気を心の中に湧き起こすものだから同じなのかも。でも小説だって物語という構造はあるけれど、読んで何があるかというと感情が湧きあがるというだけだから同じかも知れない。何も実利はないけれどその心の中に湧きあがるものを楽しむというのはお香や音楽と似ているかも知れない。そう考えるとエンタメも文学もみなそうか。よく分からなくなった。

実利や機能を持たないけれど空気感を創出している随筆集でした。

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